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「震災のことばっかり、もうええって。」「あー重。」と思われる方はどうぞスルーして下さいね。。。
偽善者と言われてもいいんです。まじめすぎると言われてもいいんです。 東北での震災から1年経った今、今日は1人でも多くの人にシェアしてもらいたいというメッセージを見つけたので、ここに載せさせてもらいます。 ******************************************************************** 今夜こちらニュージーランドのテレビで東北大震災/TSUNAMIの特集番組がなされていました。 その番組のほとんどが東北現地に暮らす人の声と住民が映した生々しい映像で構成され、見ていてが胸が苦しくなるばかりでした。 1年経った今なお進まない復興。放射能の恐怖。 先の見えない不安。愛する人、生活のすべてを無くした人々の心の傷と絶望感・・・ 「ああ、あれって被災地の話でしょ?」と他人事に捉える人々。 自分がそこに暮らし、自分が生活する場所で大地震、大津波が発生して日々苦しむ立場だったらどんな気がするだろう。 あの映像を見たら・・・時とともに風化させたらあかんよー、これは。 こんなえらそうなことを言って、ええかっこうして、自分も知らないうちに何気ない言動で人を傷つけていることもあるに違いない。 そんな自分の罪深さを懺悔しながら、反省しながら、書いています。。。すみません。 もし過去に私の何気ない言動で傷つけてしまった方がいらっしゃったら是非直接私に言って下さい。 ごめんなさい、本当に。 顔を見て謝らせて下さい。 話がそれましたが。 やり場のない苦しみ、悲しみ。 それでも懸命に前に進もうと、歯を食いしばって、溢れる涙を拭き拭き踏ん張っている人々。 見えない放射能の恐怖と日々戦い、子どもの将来を心配する親御さん。 私も小さい子どもを持つ親として、その思いは痛いほど分かります。 私にできることって何だろう。。。 遠く離れた地で私に何ができるんだろう。 できないことを考えて何もしないより、小さなことでもできることを探そうか。 そうだ、その人たちのことを想って神様に祈ることはどこでもできるな。。。 そこに暮らす人々のために。日本の政治家のために。日本の将来、子どもの未来のために。 募金もできる。 他にもいろいろできることはあるだろう。 そしてここでは私がとやかく言うより、1人でも多くの人に、現地の生の声を聞いてもらおう。 ということで、今日は、先日オークランドの日本人教会で紹介してもらった、福島在住の吉田麻理香さんによって書かれた『2012年1月12日 私がふくしまに暮らすということ』を載せさせていただきます。 1人でも多くの人に知ってもらいたい生の声です。 ********************************************************************************** 『2012年1月12日 私がふくしまに暮らすということ』 このノートは、原発事故から10ヶ月目にあたる1月12日に記したものです。当初は限定された関係性/サークル内のみで公開しましたが、予想しなかった「シェアしたい」というご要望を少なからずいただき、ノートという形にまとめ公開することにしました。 ノートという形で保存するのは、「今」しか持ち得ない私だけの気持ちを、タイムラインに流してしまうことに私自身が寂しさを感じたからでもあります。 公開にあたり、追記したいことがあります。 このノートが私の個人的な「気持ち」「感じていること」を記したものです。文中にもありますが、何かを代表する積もりも誰かの代弁をするつもりもありません。 私は福島県在住ですが、「比較的」放射線量の低い地域に住んでいます。私より危険な地域で暮らすことを選んでいらっしゃる方、余儀なくされている方は多数おられるでしょう。このノートを読んで、もしかしたら「『安全な』地域に住んでいるくせに」「過剰反応してるのではないか」という感想を持たれ、不愉快になる方もいらっしゃるかもしれません。その場合は、そっとこのノートを削除してください。 いくら「安全」と言われても、私は怖い。私は怒っています。そして私は不安です。それはおそらく放射線量が高いから/低いからというだけの問題ではなく、「事実」として提示された情報が何度も覆されたことによる恐怖や怒りや不安です。その率直な気持ちは、誰が否定しても私の心の中に存在しているのです。そして、その感情を認めてこそ、いつかしっかり昇華できるものと信じています。 ................................................ ふくしまで暮らす、ということ。 わたしが、ふくしまで暮らすということ。 わたしにとって、ふくしまで暮らすということ。 たとえば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなったこと。 たとえば、洗濯物を外に干せないということ。 たとえば、庭の畑で採れた野菜を捨てるということ。 たとえば、私が何も言わなくても線量計とマスクを身につけて外出する娘の姿に胸がチクっと痛むということ。 たとえば、この真っ白な雪に触れられないということ。 たとえば、「がんばろう福島」のスローガンに時々微かな苛立ちを感じるということ。 たとえば、いつのまにか呼吸が浅くなっているということ。 たとえば、福島に住んでることを誰かに話すとき、「でもうちはまだ線量が低いから…」ときかれてもいないのに説明してしまうこと。 たとえば、ふくしまには福島とFUKUSHIMAがある、と感じること。 たとえば、ふくしまに「とどまれ」と言われると「人の命をなんだと思ってるんだ!」と言いたくなり、「避難しろ」と言われると「そう簡単に言うな!こっちにも事情があるんだ!」と言いたくなってしまうこと。 たとえば、6歳の娘が将来結婚できるかが今から心配になってしまうこと。 たとえば、ふくしまに住んでいるという選択の責任を放棄したくなること。 たとえば、わたしたちの日常が誰かの犠牲と努力によって保たれている薄氷のような「安全」の上に成り立っているという当たり前の現実を、毎朝腹の底から理解するということ。 たとえば、明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考えること。 たとえば、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること。 とにかく、娘の健康と幸せを祈ること。 あの黒煙が脳裏から離れないこと。 それでも、毎日をそれなりに楽しく暮らしていることを、誰かにわかってほしいということ。 毎日、怒ること。 毎日、祈ること。 ふくしまを代表するつもりも代弁するつもりもありません。これがわたしの、わたしだけのふくしまで暮らすということ。 今日が、ふくしまにとっての10ヶ月。 ****************************************************************************** そして、世界のいろんな国から救助に、文字通り、飛んで駆けつけてくれた人々がいました。 助け合う心を持って。 支え合う心を持って。 寄り添う心を持って。 動画はこちら↓ Arigato from Japan Earthquake Victims 感謝です。 そして、最後に私が心にジーンときた讃美歌を。 讃美歌397番 『遠き国や』 There is a light on the cross by J.V. Martin, 1923 1.遠き国や、海の果て いずこに住む民も見よ 慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり 慰めもて汝がために 慰めもて我がために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり 2.水はあふれ火は燃えて 死は手ひろげ待つ間にも 慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり 慰めもて汝がために 慰めもて我がために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり 3.仰ぎみればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ 慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり 慰めもて汝がために 慰めもて我がために 揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり 動画をご覧になりたい方はこちらから↓ http://www.youtube.com/watch?v=oC5ahSx9cXk イエス様の十字架は暗闇に光る光です。 希望です。 生きて働かれる神様が日本の国を最善に導いて下さいますように。。。そう信じます! 皆さん、それぞれの場所で、できる時に、できることを、一緒にやっていきましょう。 聖書 ローマ人への手紙 12章15節 『喜ぶ者といっしょに喜び、泣くものといっしょに泣きなさい。』 |
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